久々の更新です。
ブログはコンスタントに更新していかないと、
日々の雑用に紛れて怠ってしまいますね。
昨年は公私共にいろいろとあり過ぎて、
何から書けば良いのか。。。。という感じです。
(既に今年は半分過ぎてしまっていますし)
苦しい事、
辛い事、
楽しい事。
沢山あった中で、
いろんな方に励まされたり助けていただいたりしました。
家族の存在にも、
改めて有り難いと思わされ、
多勢の方に感謝の気持ちでいっぱいです。
さて、いろいろな事のうちのひとつ。
4月の終わりに、実父が亡くなりました。
79才でした。
私の父は大工でした。
仕事熱心で休みの日になると頭痛がする、、、、
という位に仕事人間。
あまり一緒に遊んでもらった記憶はありません。
特別に仲が良かったわけでも、
悪かった訳でもない、
ごくごく普通の親子関係でした。
幼い頃、
父が製図板に向かって図面を描いていた記憶があり、
その影響か(自分では影響は受けていないと思っていましたが)
私も建築の道に進みました。
父は晩年、
アスベストの影響で肺を患い、
入退院を繰り返していました。
今回もまた、
少し入院したら帰ってくるだろう位の軽い気持ちでしたが、
既に肺が固くなってしまい、
手の施し用がないので静かに父の死を待つ日々が過ぎていきました。
看護士さんに
「人は死ぬ間際まで聴覚だけは機能していると言うから、
沢山話しかけてあげてくださいね。」と言われ、
夜の静かな病室で父の耳元で沢山話しかけました。
楽しかった事。
仕事の事。
私の息子達の事。
不思議と涙も出ず、
淡々と話しかけ、
「また来るね」と病室を出ました。
その後、
何回か夜中や明け方に病院から呼び出され、
その度に持ち直し、、、
そして4月の終わりの早朝、
病院から呼び出されて
皆で駆けつけた時には既に戻らぬ人となっていました。
それからは葬儀の準備で怒濤のように時間が過ぎ、
妹と日程や諸々を決め、
翌日は打合せに出掛けました。
キャンセルさせていただこうかとも思ったのですが、
気が紛れるような気がしたのと、
父に仕事に行けと言われたような気がして。
葬儀には学生時代、
よく家に来ていた友人達も駆けつけてくれ、
父も喜んでいたと思います。
人が亡くなると、その後の手続きは煩雑なのですね。
私の妹が銀行で相続係をやっていた関係で、
随分と助けられました。
兄弟がいて良かったとも、心底思いました。
その間も仕事は淡々と進めていたつもりでしたが、
先日、すごい凡ミスをしていた事が発覚しました。(T様、申し訳ございません。)
身辺が落ち着いたある日、
不意に止めども無く涙が溢れ、
父は亡くなったのだと、
そして感謝の言葉を伝えられなかった後悔に駆られました。
独立して最初の仕事は父のお得意様の息子さんご夫妻のご自宅。
父が施工者だったので、
図面の納まりが悪い、
ここはどういう意図なんだと、
毎日のように叱られ、
親子喧嘩にも発展し、
当時は父と仕事をしたくない!という気持ちでした。
けれど現場で見る父は、
家で見せる顔とは違い、
下職をねぎらい、
時に叱咤し、
そして小娘の私を設計者として立ててくれていました。
その後、
経験を重ねるうちに、
最初の仕事は父にとても助けられて建ったのだと感じるようになり、
いつか機会があったら感謝の気持ちを伝えたいなぁと思っていたのでした。
その事が不意に浮かび、
ひとり号泣してしまったのですが、
一つ一つの仕事を丁寧に真摯に行っていく事が、
父への供養になるのではと思うようになりました。
全ての職人さん達に敬意を表して。
4月末に亡くなった父は、
6月に49日を終え、
仏様になったばかりだというのに初盆で昨日は迎え火でお迎えされ、
忙しい事この上ないですよね。
父らしいかな。(笑)
長々とお付き合いいただき、
ありがとうございました。
全ての人に、
今日という日が素敵な一日となりますよう。
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2件のフィードバック
スピカさん、お帰りなさい(^-^)
と、云うのもおかしいですが、
こうして、スピカさんの想いが言葉となって、
また私達読者の前に帰ってきてくれたことが心から嬉しいです(*^_^*)
きっと待っていらした方も多いはず。
。
お父さまとの関係、素晴らしいです。
旅立たれたお父さまはきっと誰よりもスピカさんの心の内をご存知で、
今もそっと寄り添っていらっしゃると感じます。
仕事にプライベートに色々お忙しいとは思いますが、
ゆっくりとスピカさんらしさを取り戻していってくださいね(^_-)
いいひさん!
コメントありがとうございます。
父の葬儀の際も、本当にありがとございました。
ようやく、亀の歩みのようにゆっくりと前に進む事が出来るようになりました。
これからもよろしくお願いしますね。
またイギリスの土産話など、お聞かせください♪